図1 Shakerの洗濯機

背景

シェーカー教のように、同じ土地で共同体を形成し生活する宗教にとって、どのように水源を確保し、利用するかは重要な問題であった。小説の中にも、料理・入浴・洗濯・掃除など、日常的に行われる家事の多くに水を利用する描写が見られる。ウォーターシステムは、地域がどれだけ技術的に発展していたか判別する指標にもなる。

 

調査内容

シェーカーの水利用についてまとめることで、彼らの生活形態や当時のアメリカの情勢について分析する。以下、各内容の概要を参考文献より引用、日本語は筆者翻訳。

 

①当時のアメリカの水利システム

シェーカー教の水利についてくわしく述べる前に、18〜19世期のアメリカの水利システムや、それを取り巻く状況について簡単にまとめた。

During the mid-1880s, there was a growing recognition in Britain, Europe, and the United States that water was a vehicle for the spread of disease, particularly typhoid, as well as cholera. There was also a need to provide water for fighting fires, which ravaged many cities during the period. Local government investments in public water supply service therefore grew in size and number. By 1850, the number of public water supplies in the United States had increased to 83, of which 50 were privately owned (Carlisle, 1982). After the Civil War, U.S. population continued to increase, and the need to reduce diseases and to provide fire protection escalated. By 1866, there were 136 public water supplies in the United States (Hail and Dietrich, 2000).
(Privatization of Water Services in the United States: An Assessment of Issues and Experience (2002)Chapter: 2. History of U.S. Water and Wastewater Systems)
(訳)1880年代半ば、英国、ヨーロッパ、米国では、水が病気、特に腸チフスやコレラの蔓延の媒体であるという認識が高まった。また一方で、流行が落ち着くまでの間、多くの都市に、ダメージの根源である水を供給する必要もあった。そのため、公共水道サービスへの地方自治体の投資の規模と数は増加していった。 1850年までに、米国の公共水道の数は83に増加し、そのうち50は私有のものだった。南北戦争後、米国の人口は増え続けたため、病気を減らし、感染を防ぐ必要性が高まった。 1866年までに、米国には136の公共水道ができた。

 このように、19世期はアメリカの水利状況が、流行病をきっかけに大きく変化した黎明期であり、その影響はシェーカー教にも及んでいたのではないかと思われる。シェーカー教では1800年の初頭から水道状況の整備が始まっていたことがわかっており、一般的なアメリカの都市と比べるとかなり進んだ水利システムを利用していたのではないかと考えられる。

 

②Shakerの水源

シェーカー教に暮らす人々は、近くの小川、池、湖、河などを水源として生活していた。特殊なケースでは泉を水源とするヴィレッジもあり、South UnionなどはGasper Springという泉を水源の一つとして利用していたことがわかっている。多数あるヴィレッジの中でも、特に水利状況が詳しくわかっていたものについて調査した。

以下が各主要な共同体が、なにを水源としていたのか、分かっている限りでまとめたものである。

小川を水源としていた共同体:Harvard, West Union, Tyringham, White Oak, Enfield, White Water, Pleasant Hill, North Union, South Union, Union Village, Watervliet, New Lebanon, Hancock, West Union, Gloveland,
池を水源としていた共同体:Harvard, Tyringham, Alfred, Watervliet, New Lebanon, Hancock, Canterbury
河を水源としていた共同体:Shirley, Savoy
湖を水源としていた共同体:Enfield, Sodus, Enfield(Connecticut), North Union, Union Village, Sabbathday Lake
泉を水源としていた共同体:South Union

ここから、ほとんどの共同体が小川、池などの身近な自然を水源としていたことがわかる。また、Sabbathday Lakeなど、地名からその土地の水源が判別できるような例も見られる。また、Pleasant HillとWatervlietなど、近距離にある共同体はBeaver Creekという同じ小川を水源としていたこともわかっている。

次に、詳しい水利状況が判明している共同体について、その方法や歴史をくわしくまとめていく。

 

③共同体ごとの水利

・Canterburyの水利状況について
シェーカー教の歴史の中でも初期のヴィレッジである、Canterbury Villageは、池が多い土地に位置していた。
Historical New Hampshire, vol.48 Nos.2&3, 1993』の15ページで確認できるCanterburyの敷地の地図を見ると、大小七つの池が存在していることがわかる。しかし、このような小規模な池に対しては、水源としての使用は可能でも、水力としての働きは期待できなかったようで、Canterburyでは2マイルも離れた場所から水を運んでいたことも判明している。
この共同体における水力の利用方法については、The Shaker Experience in Americaに詳しい記述が見られる。

In 1800 a waterpowered gristmill and sawmill was constructer, replacing an earlier horse-drawn mill. Unfortunately, no natural source of water-power was available at the site; the Shakers were forced to build what became a series of millponds and connecting ditches to bring water from a distance of more than two miles. This system of man-made reservoirs, dams, sluices, and spillways eventually embraced eight ponds. By 1850 it powered nine operating mills, the majority of which were used in the manufacture of wood products. Collectively, these ponds and mills constituted a significant industrial complex with a major impact on the Canterbury economy, the life situation of the Believers at the site, and the landscape and physical environment.
(Stephen J. Stein ”The Shaker Experience in America” Yale University Press, 1992 p139-140 より
(訳)1800年には、水力で動く製材所が建設され、以前の馬力で動く製材所に取って代わった。残念ながら、この地域では自然の水力源は利用できなかった。そのため、彼らは 2 マイル以上離れた場所から水を運ぶために、一連の水車用湿地と接続溝になるものを建設することを余儀なくされた。この人工の貯水池、ダム、水門、水吐き口のシステムは、最終的に 8 つの池を包含した。 1850 年までに、このシステムは 9 つの操業工場に電力を供給し、その大部分は木材製品の製造に使用されていた。総称して、これらの池と製粉所は、カンタベリーの経済、現場の信者の生活状況、景観と物理的環境に大きな影響を与える重要な工業団地を構成していたと言える。

 このように、小川や湖などの大規模な水力が期待できなかった土地においても、共同体は様々な工夫を凝らして水を確保していた。製材や製粉といった観点から見ても、シェーカーのヴィレッジにとって水は重要な要素であったことがわかる。

・Pleasant Hillの水利状況について
Pleasant Hillでは、比較的早期に水利状況が整えられていたことが知られている。貯水槽が存在しており、そこから引かれた水が、キッチンやウォッシュハウスなどで使用されていた。
Knot Gardenによる『Maps of the Shaker West: A Journey of Discovery(1997)』の47ページで確認できるPleasant Hillの地図を見ると、主要な建物が集まる場所からかなり離れたところに、ウォッシュハウスが存在していることがわかる。また、製材所(sawmill)や製粉所(gristmill)など、水力を必要とするような施設のそばにダムが見られるなど、水力の利用方法も窺い知ることができる。Pleasant Hillの水利システムについては、このような記述がある。

The water system was developed under Micajah Burnett’s oversight. The system operated from Water House. A large cypress cistern, elevated on stone piers, was filled from a spring one-half mile downhill by means of horses on a treadmill pump. Water was distributed by gravity flow to kitchens, bathhouses, and washhouses through lead pipes.
(James W. Hooper “The Shaker Communities of Kentucky” Arcadia Publishing, 2006 p49 より)
(訳)ウォーターシステムは、Micajah Burnettの監督の下で開発された。この水利システムはウォーターハウスから運営されていた。大きなヒノキの貯水槽は、石の桟橋によって持ち上げられ、馬による踏み車の力で、0.5マイル離れたダウンヒルの泉から汲まれた水で満たされた。水は重力の流れによって、鉛のパイプを通してキッチン、バスハウス、ウォッシュハウスに分配された。

 また、Pleasant Hillには多くの井戸が残っていることもわかっている。村の中にある井戸については、このような記述がある。

It was found that the North House spring or well would be a dependable supply. The well was paved or lined with stones to a height of about twenty feet and stairs were built down into the well which was “some 10 to 12 feet in diameter.” By means of horse power, the water was pumped through “cast metal aqueducts,” into a cistern about 100 rods away. An earthen mound braced the walls of the circular cistern which measured 9 feet in depth and 13 feet across. The cistern wall was made of brick, plastered inside with hydraulic cement. The bottom of cistern was described as being two feet above the natural surface of the ground. From the cistern, the water was conveyed by gravity flow through lead pipes to “all the kitchens, wash houses, and stables” that pertained to the first and second families, including the West House. The North family received water from “branches that lead off the mail aqueducts.”
(James W. Hooper “The Shaker Communities of Kentucky” Arcadia Publishing, 2006 p49 より p21-22)
(訳)ノースハウスの井戸は信頼できる供給であることがわかっていた。井戸は約 20 フィートの高さまで舗装または石で裏打ちされ、直径約 10 〜 12 フィートの階段が組み込まれていた。馬力によって、水は金属でできた水道を通って約 100 本のロッドから離れた貯水槽に汲み上げられた。土墳は、深さ 9 フィート、幅 13 フィートの円形の貯水槽の壁を支えていた。貯水槽の壁はレンガでできており、内部に水硬性セメントが塗られていた。貯水槽の底は、地面の自然な表面から 2 フィート上にあると説明された。貯水槽から、水は鉛パイプを通って重力の流れによって、ウェストハウスを含む「すべての台所、洗面所、および厩舎」に運ばれた。ノース・ファミリーは水路に通じる管から水を受け取った。

図2 Shakerの井戸

 

 

④水の利用方法

水源から運んできた水をどのように利用するかは共同体によって様々で、水利システムが発展しているか否かによっても異なっていた。また、共同体によっては各家に風呂がついている場所と、ついていない場所があり、風呂が完備されていない共同体では、以下のように一つの建物からバケツでお湯を分配する方法が一般的だった。

In the dwelling-house and near the kitchen I noticed a great number of buckets, hung up to the beams, one for each member, and these are used to carry hot water to the rooms for bathing. The dwellings are no theated with steam.
(Charles Nordhoff “The Communistic Societies of the United States” Pinnacle Press, 2017 p213 より)
(訳)dwelling-house の中や、キッチンの近くでは、建物の梁から、かなり大量のバケツがぶらさがっていることに気が付いた。バケツはそこで暮らしているメンバーに一つずつ割り当てられており、風呂用の熱いお湯を、部屋まで汲んで持っていくために使われている。dwelling-houseには蒸気設備が備わっていなかった。

 

⑤水に関する発明品など

・Washing Machineについて
シェーカーは水を利用するための発明品もいくつか考案しており、その中でも洗濯機は特許を取るなど、特筆すべき成果を上げていた。特に、機械を省力化することに力を注いでいたことがわかっている。

図3  Shakerの洗濯機

The invention of labor-saving devices was often consciously driven by economic considerations. The washing machine patented by the Shakers at Canterbury won a gold medal at the Centennial Exposition in 1876, but it also produced income for the village.
(Stephen J. Stein ”The Shaker Experience in America” Yale University Press, 1992 p303より)
(訳)シェーカー内では、省力化した機械の発明が意欲的に進められていた。カンタベリーのシェーカーが特許を取得した洗濯機は、1876年に開催されたフィラデルフィア万国博覧会で金メダルを貰うほどのものだった。

図4 Shakerの洗濯機

図5 Shakerの洗濯機の図面

 

They built wash-mills of different types during the early part of the nineteenth century, but in 1858 they took what they had learned about doing wash with mechanical power to the marketplace by engineering, building, and patenting an improved washing machine. Although the Shakers received a patent for an “Improved Washing Machine” on January 26, 1858, they were manufacturing and selling the machine prior to that and mention the success of that machine in the patent description. In addition to the washing machine, the Shakers developed a box mangle for pressing cloth and a specially formulated laundry soap.
(Shaker Museum Mount Lebanon https://www.shakermuseum.us/collection/wash-no-dirt-heaven/shaker-innovation-and-marketing-in-the-laundry-business/)
(訳)シェーカーは 19 世紀の初めにさまざまなタイプの洗濯機を製造したが、1858 年に、改良された洗濯機のエンジニアリング、製造、特許取得により、機械的な力で洗浄することの大切さを当時の市場に知らしめた。彼らは 1858 年 1 月 26 日に「改良型洗濯機」の特許を取得したが、それ以前に機械を製造および販売しており、特許の説明においてそれらの成功について言及している。洗濯機に加えて、布をプレスするためのボックスマングルと特別に配合された洗濯石鹸の開発にも成功した。

 

⑥Water Cureについて

また、一部のシェーカー教内では、シェーカーヴィレッジで作られた水を特殊な水とみなし、病気の治癒や健康維持に効果のあるものとして宣伝するような動きも見られた。

Spring water at Harvard, boasted Elijah Myrick was the “Cheapest & Best” life insurance in the world, therapeutic and healthful to all who drink it. Frederick Evans claimed that Shaker water “insures against disease and premature death; and extends the lease of life, giving health and opportunity to leave a richer legacy to posterity than any stock company extant.”
(James W. Hooper “The Shaker Communities of Kentucky” Arcadia Publishing, 2006 p306 より)
(訳)ハーバードの湧き水は、エリヤ・ミリックが世界で「最も安くて最高」であることを保証しており、それを飲むすべての人にとって治療的で健康的であると自慢している。フレデリック・エバンスは、シェーカーウォーターは「病気や早死を防ぐ」と主張した。寿命を延ばし、現存するどの会社よりも豊かな遺産を後世に残す機会を与える、とのことだ。

○まとめ

Shaker の水利システム

・シェーカーは先進的なウォーターシステムの取入れやその発展に積極的であった。共同体全体に水が行きわたるよう、主に上水システムを中心に整備されていたようである。だが、ウォーターシステムについては同じ時期でも共同体ごとに差異があり、各ハウスに風呂が付いている共同体と、そうでない共同体があったことも判明している。

・シェーカーによって開発された洗濯機は、当時でも画期的な発明品であり、省エネルギーを志すアメリカの情勢に合わせた斬新な代物であった。水利システムが整備されたのが 1830年からその後数十年間にかけてなので、1858 年に特許を取った洗濯機は、ウォーターシステムのもとに造られたものであると推測できる。ウォーターキュア(水治療法)に関しては当時から懐疑的な声が多く上がっており、あくまでシェーカーの水の上質さを宣伝するための誇張表現として使用していただけなのではないか、と考えられる。

執筆:高塚理恵子

参考文献・図版出典

Stephen Paterwic『Historical Dictioonary of the Shakers』 Rowman & Littlefield Publishers, 2017
Stephen J. Stein『The Shaker Experience in America』Yale University Press; Reprint edition, 1994
James W. Hooper『Shaker Communities of Kentucky Arcadia Publishing Library Editions, 2006

図2  Shaker Museum Mount Lebanon(https://www.shakermuseum.us/object/?id=18630&limit=24&offset=1&sort=name_ref&q=well)より
最終閲覧日2021/05/07
図1,3,4,5  Shaker Museum Mount Lebanon (https://www.shakermuseum.us/collection/wash-no-dirt-heaven/shaker-innovation-and-marketing-in-the-laundry-business/)より 全て最終閲覧日 2021/05/07