図1. 19世紀ケンタッキー州のディックス川とケンタッキー川
該当部分の概要
第1、2章にて、レベッカとリチャードの結婚式への計画と準備、そしてその宴会の場にての様子が描かれている。
[第1章]
“‘This is the way I see it,’ Richard went on. ‘With winter coming on, I can tum to building the house. With Sampson to help we should get it finished by the tum of the year. Then we could throw up a log house for the blacks and some barns. It has been my thought we could get married in the early spring, if all goes well.’
It was September.”
Janice Holt Giles, The Believers, Houghton Mifflin Company, 1957, p.7
「僕の見通しでは、冬が来てからサンプソンと家を建て始めれば、年末には建て終わる」リチャードは続けた。「そのあとに黒人一家のためのログハウスといくつかの納屋を用意することができるだろう。順調にいけば春の始めには結婚できると思う」
このようなプランが出来上がったのは9月のことだった。
[第2章]
“She had banked them about the fireplace, where we were to stand, and I never saw anything more lovely in my life.”
Janice Holt Giles, The Believers, Houghton Mifflin Company, 1957, p.11
私たちは暖炉の前に立って誓いの言葉を述べることになっていたので、ジェイニーはその花々を暖炉のまわりじゅうに飾りつけたりした。それは私が今まで目にした中で一番きれいな光景だった。
調査内容
19世紀ケンタッキー州の、結婚に関する習慣を調査し、当時の家族を作る事・生活をしていく事について理解を深める。これらは今後物語が展開していく上で、レベッカとリチャードの生活の様子とともに彼らの性格などもを理解するのに役立つと考える。
①1882年に出版されたCollin’s Historical Sketches of Kentucky: History of Kentucky, Volume 2によると、恋愛による結婚が一般的であり、階級は関係なかった。つまり自由意志での結婚が多かったようだ。これは第2章で話される、その昔レベッカと両親が結婚を決めた1時間後には式を挙げた話からも、自由さが伺える。相反して、リチャードは1章にて半年も前から結婚を計画している。また、レベッカのように新婦の家で式をあげる事が主流だった。式の後の宴では、御馳走が振る舞われ、朝まで人々は踊り続けることからも、盛大に祝福されて夫婦になっていく様子がわかる。
“The inhabitants married young, There was no distinction of rank, and very little of fortune. The first impression of love generally resulted in marriage, and a family establishment cost but a little labor and nothing else. A Kentucky wedding in early times was a very picturesque affair, and was an event which excited the general attention of the whole community in which it occurred…. In the morning of the wedding day, the groom and his attendants assembled at the house of his father, for the purpose of proceeding to the mansion of his bride, which it was desirable to reach by noon, the usual time of celebrating the nuptials, which ceremony must at all events take place before dinner. The ceremony of the marriage preceded the dinner, which was a substantial backwoods feast of beef, pork, fowls, and sometimes venison and bear meat roasted and boiled, with plenty of potatoes, cabbage, and other vegetables. After dinner the dancing commenced, and generally lasted till next morning.
Lewis Collins, Collin’s Historical Sketches of Kentucky: History of Kentucky, Volume 2, Franklin Classics Trade Press, 1882
ケンタッキー州の住民は若いうちに結婚した。階級は分けられず、財産もほとんど持っていなかった。愛が決め手で結婚するのが一般的で、家庭をもつには少しの労働以外必要ではなかった。初期のケンタッキー州での結婚式は、とても絵に描いたような様子で、地域の皆からも注目を浴びた。(中略) 当日の朝は、12時までに新郎は新婦の家に行き、夕食前に式をあげるのが通常であった。式後には森のご馳走とも言える夕食が振る舞われた。牛肉、豚肉、家禽、時には鹿肉や熊肉を焼いたり茹でたりしたものに、ジャガイモやキャベツ、たくさんの野菜を盛り込んだ。夕食後は翌朝まで続いた。(筆者訳)
② 同書の中に、結婚式後の夫婦の生活の始め方についても記載されている。まずはどちらかの両親より土地をもらい、家を立てる。これは地域の皆で協力したようで、正確に何日かかっていたかは書かれていないが、1日で床と屋根が完成することがあった事を踏まえると、友人や地域住民の協力は凄まじい勢いだったと考えられる。(Barn Raisingの訳調査へのリンク)
また、家の完成を祝う宴の後に引っ越しをするとあり、その様子からも皆に祝福されて一緒になるという夫婦のみならず親戚や近所の住民との関係が強い事がみられる。そして家を所有する事を重要視している事がわかる。
“The marriage being over, the next thing in order was to “settle” the young couple. A spot was selected on a piece of land of one of the parents for their habitation. A day was appointed shortly after their marriage, for commencing the work of building the cabin….The roof and sometimes the floor were finished on the same day the house was raised. A third day was commonly spent by the carpenters in leveling off the floor and making a clapboard door and table. …The cabin being finished, the ceremony of house warming took place before the young people were permitted to move into it. This was a dance of a whole night’s continuance, made up of the relations of the bride and groom and their neighbors. On the day following the young people took possession of their new mansion.
Lewis Collins, Collin’s Historical Sketches of Kentucky: History of Kentucky, Volume 2, Franklin Classics Trade Press, 1882
結婚式後、若い夫婦を”定住”させる事が次に行われた。どちらかの両親の土地から住む場所を選び、家を立てる日が決められた。(中略) 屋根や床は家のフレームが建てられた日に仕上がる事もあり、三日目には床を水平に整えたりドアやテーブルを作るのが一般的であった。
(中略) 家が完成すると、その完成を祝う宴を行ってからでないと、夫婦は入居できなかった。夫婦の親戚と近所の住民によってダンスが一晩中続いた。そして翌日、若い夫婦は彼らの新しい住居を手にした。(筆者訳)
まとめ
当時のケンタッキー州では若いカップルが恋愛をし、家族や親戚、近所の住民からの助けを得ながら祝福され結婚していった。家での式で盛大に宴をしてもらう事、そして新居をも作ってもらうことからも、この先その土地に助け合いながら定住していく当時の人々の暮らしが見られる。今後の物語の展開にもあるように、自分たちの生まれ育った場所、祝福され結婚し生活をもっていた場所を捨ててよそへ移るという事は、当時のまわりの人々には考えられない事だったのではないだろうか。
(執筆: 佐久間 美夢)
図版出典・参考文献
参考文献
・Collin’s Historical Sketches of Kentucky: History of Kentucky, Volume 2, Lewis Collins, 1882
https://books.google.co.jp/books/about/Collins_Historical_Sketches_of_Kentucky.html?id=gZFQAQAAIAAJ&printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q=black%20betty&f=false (最終閲覧 2020.02.24)
図版出典
図1: Junction of Dix and Kentucky Rivers, Courtesy of the Lexington Public Library.
www.lexpublib.org