(1) 販売用の種と麦わら帽子
トラスティーは、シェーカーの名前のもとに商業活動を行う法的権限を持っていた。トラスティーはコミュニティ内の商売を手伝うだけでなく、シェーカー内で作られた製品の行商をしたり、コミュニティからかなり離れた様々な場所に出張していた。
出典:Stephen Paterwic『Historical Dictioonary of the Shakers』 Rowman & Littlefi eld Publishers, 2017, p.297
(2) 奴隷解放の書類
シェーカーでは1815年から1816年の間に、ケンタッキー州の2つの共同体(South UnionとPleasant Hill)において、長老達(elder, eldless)が奴隷解放を推奨する動きがあった。奴隷解放を説得された主人は特定の文言を羊皮紙に記入、サインさせられ、民事裁判所に書類を提出してサインを受け、書記官にその記録を取ってもらった。
出典:Julia Neal,The Kentucky Shakers,The University Press of Kentucky,1982.p.45
(3) 彼女の夫
マザー・アン・リーは自らの意思に反して、父の弟子であるエイブラハム・スタンデリンと結婚し、四人の子をもうけた。しかし、彼らがみな幼くして亡くなったため、罪を捨て、告白し、独身を貫くことで救いの道が開かれるという確信を得た。彼女は1774年にアメリカに渡り、その渡米には夫のエイブラハムも同行したが、程なくして彼女を見捨てたと言われている。
出典:Shaker Museum(https://www.shakermuseum.us/people/?id=392)