(1) ハウスの全体分も奥行きがある二階の部屋
詳しくは、サウス・ユニオンのスクールハウスの二階についての平面図参照。
(2) 製材所はとても儲けの多い事業だった
シェイカーの製材所は、シェイカー教徒の建築や大工仕事に必要な木材を加工する手段として、また製材を必要とする近隣のシェイカー教徒以外の人々から資金を得る手段として利用されていた。どの村にも少なくとも1 つの製材所があり、大きな村ではさらに多くの製材所があった。19 世紀後半まで、シェーカー教徒は遠くミシガン州の森林から木材を運び、自分たちの製材所でそれを製材し、鉋で削っていた。建築用の木材を自前で生産する能力がなければ、シェーカー教徒は住居や店舗などの建築物を継続的に建設するために、より多くの費用をかけなければならなかっただろう。製材所の数や種類は、村によって大きく異なっていた。
Like the grist mills, Shaker saw mills provided the means to process lumber for the Shakers’ own building and carpentry projects as well as bringing in money from nearby non-Shakers who needed lumber sawn. Every village had at least one saw mill; larger villages often had more. Until the late nineteenth century, the Shakers brought timber from their own forests as far away as Michigan, and sawed and planed it in their own mills. Without the capacity to produce their own building lumber, the Shakers would have had to spend more money on the many ongoing construction projects for dwellings, shops, and other buildings. The number and type of workshop could vary greatly from one village to another.
出典:Julie Nicoletta『The Architecture of the Shakers』p.107
(3) オールド・ルーム
スクールハウスの中で、レベッカの部屋は新たに造られたものだが、サブリナの部屋は元の寝室をいくつか合わせてつくられたため、もとからあった部屋という意味でオールド・ルームという表現が使用されている。
(4) ビリーバーズのために設けられた埋葬地
シェーカー教では教徒が亡くなった際は、遺体を洗浄し防腐処理を施し、無地の棺に入れて共同体内の埋葬地に埋葬した。彼らは、死を「魂が霊の世界に入るために肉体を捨てた段階」と捉え、遺体に対して記念碑をつくる必要はないと考えた。そのため、19世紀以降は墓標を立てずに埋葬地を簡素にするような共同体も見られた。
出典:Stephen.J.Paterwic, Historical Dictionary of the Shakers, Scarecrow Press, 2008, pp.128-129
(5) レーズン川の戦い
1813年1月にミシガン州フレンチタウンで行われた米英戦争中の一連の戦闘。ミシガン州における最大の戦闘だったと言われ、デトロイト砦をめぐってアメリカ軍とイギリス軍が争い、アメリカ軍が全面的に敗北した。
出典:City of Monroe (2010年)“River Raisin Battlefield”(2020年7月27日閲覧)https://web.archive.org/web/20110927030210/http://www.co.monroe.mi.us/government/departments_offices/museum/docs/River_Raisin_Battlefield_Brochure