図1:「tree of life」のスケッチ
このモチーフはシェーカー教が神より授かったギフトの一つとして、マニュフェスト時代にスケッチとしてされた。

該当部分の概要

“I have entered a new ministry. I have seen the plain error of my former convictions.”
“What, now,” Richard asked, “is your position on predestination and the election of saints?”
“Error,” Mr. Rankin said firmly, “pure error. Only by repentance, confession and taking up the cross can salvation be assured. I labored many years under that error, and mistakenly I taught it and preached it. But I thank the Lord my eyes have been opened to the truth.”

「別の聖職を得たのです。これまでの信仰の明らかな誤りに気づかされたのです」
「それでは予定説と神の無償の選びについてはどう考えますか?」
「誤りです」ランキン氏ははっきりと言った。「まったくの誤りです。悔いを改め、信仰告白し、そして受難に耐えることによってのみ、救済は保証されます。長いあいだ、誤りのもとではたらいてきたのです。そしてその誤りを教え説いてきました。しかしやっと真実を見ることができたのを主に感謝しています」

調査背景

本文第4章の会話内に登場するキリスト教の緒論上の要素【予定説と神の無償の選び(predestination and the election of saints)】は、各キリスト教宗派により解釈が様々である教理である。これらを認める宗派もいれば認めない宗派もいるため、論争の焦点になるとともに宗派の信仰方法や日々の生活の違いに通ずる重要なものではないかと着目した。

調査目的

これら教理に対してのシェーカー教の独自の解釈とそれが彼らの信仰と生活の形態にどのように影響していたかを明らかにする。

調査手法

キリスト教における予定説と神の無償の選びの意味の理解と、それに対するシェーカー教での解釈を調査し、比較する。シェーカーの教義と、彼らによる聖書や既往のキリスト教緒論への解釈について詳細に記した書籍Calvin Green, Seth Y. Wells, J. P. MacLean, A summary view of the Millennial Church, or United Society of Believers, Albany: Packard & Van Benthuysen, 1823を参照する。

調査内容

○キリスト教における予定説と神の無償の選びについて

神によって聖なるものとし救いに導かれるかどうかというのは、あらかじめ神の意志により予定されているという教理であり、聖書の解釈が元となっている。特に新約聖書にあるローマの信徒への手紙8:29でのパウロの教えや、神の選びに関する箇所に対して解釈の論争が起こった。

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」
(引用) 日本聖書協会「ローマの信徒への手紙」8:29『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、1988)(新)p.285

そして予定説にもとづく無償の選びというのは、神があらかじめ予定しているため人間の信仰や善行はその選定要因に関係しないという事である。予定説と無償の選びを認める者をアウグスティネス主義者と呼ぶ。認めない者、つまり人間の努力により救われる者として選ばれるという考え方を持つものをペラギウス主義者と呼ぶ。¹

16世紀フランスの神学者ジャン・カルヴァンは予定説を再主張し、自分たちの行いは救いの選定に反映されないという受動的解釈ではなく、選ばれた民であるからこそそれに伴う人間的責任があるという解釈を広めた。このカルヴァン主義はプロテスタントの労働倫理と社会へと多大な影響を与えたとされる。²

○シェーカー教における予定説と神の無償の選びについて

まず、シェーカー教による予定説と神の無償の選びについての解釈を引用する。A summary view of the Millennial Church pp.103-116、第3部第2章「神の意思決定について、選定と拒否(原題Concerning the Decrees of God, Election and Reprobation)」において、予定説に対し「人間の救済の選別は神によってあらかじめ定められている」というのは本末転倒な誤りであると説いている。以下にその主部を引用する。

“And certain it is, that there is nothing in the foreknowledge of God which can operate, either directly or indirectly, against the free and final choice of any soul, in respect to the work of salvation: for this would be predestination in very deed. To say that God cannot foreknow without foreordaining ‘whatsoever comes to pass,’ is to limit his attributes of power and wisdom, and subject them to his decrees, making his decrees, which are evidently the effect of his power and wisdom, superior to both; this is, in reality, making the effect superior to the cause, and placing the common absurd doctrine of predestination above the Divine attributes.”
Calvin Green, Seth Y. Wells, J. P. MacLean, A summary view of the Millennial Church, or United Society of Believers, Albany: Packard & Van Benthuysen, 1823, p.108

神による救いに関して、直接であれ間接であれ、自由で最終的な魂の選定に反するものは、神の予知の中にはないのは確かである。これが、まさしく〈シェーカー教の考える〉予定説なのだから。
「何が起ころうとも」を前もって定めずには神は予見をすることができない、と述べることは、神の力と知恵を制限していることと等しい。そしてそれらを神意に従わせ、神意は神の力と知恵よりも優れていると言っている。実際これが、効果を原因よりも優れたものとし、予定というよくある不条理な教義を神性の上に置くということなのである。
しかし明らかにこの神意は神の力と知恵による効果であるのだ。
確かなことは、神の予知には、直接であれ間接であれ、あらゆる魂の自由で最終的な選択に対し、救いの業に関して作用するものはなにもないということである。というのも、これこそがまさに予定説なのだから。「何が起ころうとも」を前もって定めずには神は予見をすることができない、と述べることは、神の力と知恵の特質を制限し、それを神の掟に従わせ、明らかに彼の力と知恵の効果である彼の掟が、その両方より優れていると述べることに等しいのである。実際これが、効果を原因よりも優れたものとし、神性の上に予定という共通の不条理な教義を置くということなのである。
(福居・佐久間 訳)

この文章に続き、聖書には神の無償の選びと予定説に対する言及がないことから、これらは誤りだと主張している。また、逆説的に、魂の救済はその人自身の信仰や働きという行い(work)の自由な選択(free agency)にかかっていると述べている。このことは、シェーカーが生活の中の行いを宗教的に重要視する考え方をもつことの根拠の一つであると推測される。

“But it appears evident from all that we have seen written and published on this subject, by its most strenuous advocates, that they are entirely ignorant of the true sense and import of those passages. Certain it is, that nothing recorded in the scriptures, on the subject of election or predestination, has any reference to the final lot of any souls, without a special regard to their faith and works… Hence it is clearly evident that the obedience or disobedience of all souls depends on their own free choice, and that their reward will be according to their works.”
Calvin Green, Seth Y. Wells, J. P. MacLean, A summary view of the Millennial Church, or United Society of Believers, Albany: Packard & Van Benthuysen, 1823, pp.109-112 より聖書の引用・解説部分以外を抜粋

しかし、この問題について書かれ出版されたものを見てみると、その〈=選定(election)の〉最も熱心な支持者たちは、これらの一節の真の意味と重要性を全く理解していないことが明らかである。確かに聖書の中には、あらゆる魂の最後について、その信仰や働きに特別な配慮をすることなく言及しているような、選定や予定説についての記録はない。(中略)すべての魂の従順さや不従順さは、その人自身の自由な選択にかかっており、その報いがその人の行いに応じて決まることは明らかである。(福居 訳、〈〉内は筆者による補足)

なお、続く文章では、選定(election)を一般的な政治選挙の原理に例えながら「人はその行いによって選ばれる」という事実を述べた後、聖書の登場人物も彼らの生来の行いを神に評価され、神から命じられた行いをしたと断定することで、先述の主張を補強している。

本章を通してこのように聖書の読解を行い、その結果予定説および神の無償の選びについては聖書の本文よりその根拠となる記述が認められないとして、シェーカーはこれらの説を否定している。

○考察

以上から見られるように、シェーカー教では、聖書の読解からはその根拠が得られないとして予定説肯定派の解釈に対し、否定的な立場をとっている。そのため、予定説においてはペラギウス主義者として考えられる。

しかし、ここで着目したいのは、16世紀に予定説を再主張したカルヴァン主義と似ている点である。シェーカー教は魂の救済のために日常での行いが重要である、という教義を教え、”Hands to Work, Hearts to God”といった労働倫理へと繋がったと考えられる。これは労働が自分たちの生活の中でどのような意味があるのかといった解釈を通し、結果的に労働と信仰を繋げ資本主義を促したカルヴァン主義の方法と似ていると捉える事もできる。

ただ違うのは、両者の根底にあるもの、ではなかろうか。シェーカー教の方では、魂の救済を受けるための労働であり、自分の行動次第では選ばれずに救済を受けられない、という”心の恐れ”が根底にある。カルヴァン主義では、自分は選ばれているという”自信と責任”が根底にあり、それを実証するかしないか、だけである。この違いには、16世紀のフランスと18世紀後期のまだ若いアメリカの、社会のあり方の違いが起因していると考察できる。(これについては、今後調査を進めていきたい。)

以上のことより、シェーカー教は当時あった聖書の一解釈に対し、原因と結果を1セットとして考えず、結果が同じだとしても原因に異を唱えて新しい解釈を持ってくる事で、彼ら自身のオリジナリティを構築していった、とも考えられるのではないだろうか。

○まとめ

①予定説と神の無償の選びという教理は、救われるものが神に予定づけられており、人々の信仰や改心は影響しないという考えである。これに対しカトリックやプロテスタントでも解釈が異なる。シェーカー教では、聖書の読解からはその根拠が得られないとして予定説を否定している。彼らは、人間はその自由な選択(free agency)による行い(work)によってそれに応じた報いを受けると主張しており、日常の中での行いの重要性を強調している。

②予定説と神の無償の選びを肯定し再主張したカルヴァンは、人々の行動が神の選びに関係するものではなく、選ばれたものとしての責任として説き、当時あった解釈とは逆の解釈により、信仰と労働を繋げた、結果的にこのカルヴァン主義は資本主義社会へと影響を及ぼした。シェーカー教の世俗的なものからの離脱はこの考えに否定的である。ただその一方で、シェーカー教における労働による信仰は、カルヴァンの説いた予定説における労働の推奨と重なるものでもあるのではないか。このように、シェーカー教の教義の実践は、従来の宗派の流れに捉われず、自分たちの理想的な生活をデザインするために様々な考えを取り入れていたようにも見受けられる。

 

執筆:福居彩未・佐久間美夢

 

参考文献・図版出典

参考文献

¹大貫隆、名取四郎、宮本久雄、百瀬文晃『岩波キリスト教辞典』(岩波書店、2002)
²アラン・リチャードソン、ジョン・ボーデン、古屋安雄、佐柳文男『キリスト教神学事典』教文館、2005、p.582

A. リヴィングストン編 木寺廉太訳『オックスフォード キリスト教辞典』教文館、2017、p.259
Calvin Green, Seth Y. Wells, J. P. MacLean ら著『A summary view of the Millennial Church, or United Society of Believers』(Albany : Packard & Van Benthuysen, 1823)

図版出典

図1:「Wikicommons:Hannah Cohoon, Tree of Life or Blazing Tree, 1845」
https://en.wikipedia.org/wiki/Shakers#/media/File:Hannah_Cohoon,_Tree_of_Life_or_Blazaing_Tree,_1845.jpg(2021年4月13日最終閲覧)