図1 シェーカースクール
調査内容・目的
当時の一般的な公教育と比べて、シェーカーの学校教育は特殊なものとして知られていた。シェーカーの教育が成立するまでの歴史や、コミュニティの中で使用されていたスクールハウスの建築的特徴、設備、家具、子供たちの過ごし方などについて調べることで、彼らがどのような理念で教育に対して向き合っていたのかを明らかにすることが目的である。
本文該当部分
熱心に彼女は言った。「あなたは他の女性たちの中でも特によく学んでいます、レベッカ。ブラザーベンヤミンと私はずっと話していました、私たちは、あなたはイーストファミリーでの仕事から解放されて、教える立場に回るべきではないかと思っています。教習組の進歩が目覚ましく、新しい指導者が強く必要なのです。どうです?」
(Eagerly she said, “You have more learning than is common among the women, Rebecca. Brother Benjamin andI have been talking -we think you should be relieved of your duties in East Family and put to teaching. The school group is growing so fast that another teacher is badly needed. Would you be willing?”)」
シェーカーの教育の歴史
シェーカーは当初、当時行われていた学校教育というものに不信感を抱いていた。初期のシェーカー の教育に対する態度については、このような記述が見られる。
Most early eastern Shakers were skeptical of formal education. This was partly due to the pattern established by Mother Ann Lee, who was illiterate
herself, and whose “Hands to work, hearts to God” philosophy had no real place for formal education. These attitudes were in sharp contrast to those of the
Quakers.(Shaker Life, Art, and Architecture Scott T. Swank p76-77)
初期の東部シェーカーのほとんどは、正規の学校教育に対して懐疑的だった。 これは、シェーカー教の始祖であるアン・リー自身が文盲であり、「手は労働に、心は神に」という彼女の哲学へ、世紀の学校教育の理念が入る余地がなかったことに起因していた。このようなシェーカー教の態度は、クエーカー教徒のそれとは対照的であった。
The Shaker philosophy of education changed greatly with the pioneering role of Seth Wells, a former Albany-area teacher who, after joining the Shaker in the early nineteenth century, began advocating education among the community.(Shaker Life, Art, and Architecture Scott T. Swank p76-77)
このようなシェーカーの教育哲学は、19 世紀初頭にシェーカーに加わった後、コミュニティの中で教育の重要さを提唱し始めた、元アルバニー地域の教師であるセス・ウェルズの先駆的な献身によって大きく変化した。
Shaker schools were developed in the early 1800’s. They combined rigorous discipline with affectionate teaching and study of useful skills. The curriculum was better than that of public schools at the time; teaching techniques employed open classroom ideas, student tutors, team teaching, infant education, and interdisciplinary studies. Shaker education became less unique late in the 19th century when public school standards were improved and teacher certification was mandated. The Shaker life style itself became less popular in the 20th century as mass marketing, social agencies, equal rights movement, and financial complexity became common.(An Analysis of Shaker Education: The Life and Death of an Alternative Educational System, 1774-1950)
シェーカースクールは1800 年代初頭に開発された。彼らは厳格な規律と愛情深い教育と有用なスキルの研究を組み合わせた。カリキュラムは当時の公立学校よりも優れていた。教育においては、オープンクラスルーム(※ 1970 年代に北アメリカで最初に知られるようになった生徒中心型の教室デザイン)システム、学生による家庭教師、チームティーチング、幼児教育、および学際的な研究を採用した。シェーカー教育は、公立学校の基準が改善され、教師の資格が義務付けられた19 世紀後半に、特有なものとは見做されなくなった。その変化は、マスマーケティング、社会的機関、平等の権利運動が一般的になるにつれて、シェーカーのライフスタイルが20 世紀にあまり人気がなくなったことと関係していた。
このように、アン・リーの出自などから、教育を重要視していなかったシェーカーだが、信者の一人である教師が、教育の重要性を訴えた結果、かなり進んだ教育を施すことができるようになったことが伺える。特に、オープンクラスルームなど、大人数の小さな子供に指導する際に有効な教育体制を進んでとっていたことがわかった。
シェーカーのスクールハウスについて
前述したとおり、シェーカーコミュニティの中には、共同体内の子供に教育を施すための「スクールハウス」と呼ばれる建物があった。当時のアメリカのスクールハウスは、そこでの生活が前提となっており、家庭的な居住空間として扱われていた。シェーカーも例外ではなく、教育期間中の子供たちはスクールハウスで生活を送っていた。また、シェーカーのスクールハウスは、当時の一般的なスクールハウスとそこまで大きな違いはないとされていた。
In 1823 the Shakers built their first school. The original 1823 schoolhouse is represented in maps by Henry Clay Blinn and Peter Foster as a one-room, one-story school. Its design was not unlike schools built elsewhere in New Hampshire in the early nineteenth century, except for its separate entries for boys and girls. The interior was relatively plain, with horizonal wainscoting, Shaker peg rail, “fast-seats” (a built-in bench that lined the perimeter of the room), and a series of raised platforms to support student desks.
1823 年、シェーカーは最初の学校を建設した。 1823 年に建てられた校舎は、ヘンリー・クレイブリンとピーター・フォスターによって、1部屋のみを擁する1 階建ての学校として地図に表されている。 そのデザインは、男子と女子のための別々の入り口が存在することを除いて、19世紀初頭にニューハンプシャーの他の場所に建てられた学校とほとんど変わりなかった。内装は比較的シンプルで、水平の羽目板、ペグレール、ファストシート(部屋の周囲に並ぶビルトインベンチ)、机を支えるための一連の隆起したプラットフォームがあった。
図2 Canterbury, Schoolhouse, 1810-1875
図3 Mt.Lebanon, Schoolhouse, 1872
図4 Mt.Lebanon, Schoolhouse, 1872
広々として明るい部屋だった。そこには勉強用の長椅子が奥に向かって置かれ、小さなものは前方に置かれていた。(略)全ての教室は白色に塗られていた。しかし羽目板とドアと窓枠は彼らが好んだ美しい明るい青色だった。壁の周りにはペグが設けられ、物を所定の位置にきちんと整えておくよう、子供たちにも教えられていた。(本文15 章より)
15 章に記されているスクールハウスの記述を見ると、ほとんど上記の情報と一致していることがわかる。色彩に関しては当時の写真を見ても詳しいことはわからないが、シェーカーの衣服、建築に多用される青色、白色が使われていたようだ。
また、内装や設備に関しても、シェーカースクールは最新のものを備えていた。また、教育に必要な備品も全て揃えられており、子供たちの教育環境としては最適のものとして考えられていた。
Inside, the Shaker school was attractive, well lit, well heated and ventilated (with special double-walled insulation and air pipes), and equipped with the latest in school apparatus such as globes, maps, and books. The new school met the ultimate standard of the day, and for the next sixty years the building functioned as the leading educational institution in the town of Canterbury.
室内に関して言うと、シェーカースクールは魅力的で、明るく、十分に温かく、換気されており(特別な二重の断熱材とエアパイプが備わっていた)、地球儀、地図、本などの最新の学校設備が備えていた。この学校は当時の最先端の基準を満たしており、それから60 年間、カンタベリーの主要な教育機関として機能し続けた。
また、スクールハウスに関してはこのような記述も見られた。
Architecturally, the Canterbury Shakers incorporated the ideas of some of Americaʼs most distinguished leaders in education reform, such as Horace Mann and William Alcott of Massachusetts and Henry Barnard of Rhode island. Alcott and Barnard had published the first treatises on school architecture in 1832 and 1848, respectively ; these volumes advocated a school building that would incorporate their overall philosophy of environmentalism, which acknowledged architectureʼs direct influence in shaping a childʼs behavior and character.(Scott T. Swank『Shaker Life, Art, and Architecture』より)
建築的には、カンタベリーシェーカーは、マサチューセッツ州のホーレスマンとウィリアム・アルコット、ロードアイランド州のヘンリー・バーナードなど、教育改革におけるアメリカの最も著名な指導者のアイデアを取り入れていた。 アルコットとバーナードは、それぞれ1832 年と1848 年に学校建築に関する最初の論文を発表した。これらの論文は、環境保護主義な哲学を取り入れた校舎を提唱し、子供の行動や性格を形作る上での建築の直接的な影響を認めていた。
図5,6 School House in Shaker Communities
このように、シェーカー教は、ヘンリー・バーナードなど、当時の最先端の指導者の意見を採用し、子供たちを縛り付けるのではなく、彼らの意思や性格を尊重するような教育を目指し、その思想を建築にも反映させていた。
当時のアメリカで提唱されていた平面プラン(右図)と比較してみると、シェーカー教のスクールハウスの平面プランがこれらを積極的に取り入れていたことがわかる。長方形型の教室に、多数の生徒が同時に座れるような長机をいくつか配置する、というのがオープンルームの基本であった。
また、初期の学校は扉が男女別に分けられているだけであったが、後半になるにつれ、学校そのものが男女別に分けて造られるようになり、目的別にスクールハウスを建てるコミュニティなども現れた。(シャーリーのインダストリアル・スクールなど)基本的に、初期のシェーカースクールは一階建てであったが、学校の形態が多様化するにつれて、上記の写真のように、二階建てかつ大規模な学校が建てられるようになったことも確認できる。
平面的には、壁がなく、開けた空間の使い方をしているのが特徴である。一つの大きなスペースの中にいくつか机があり、年齢を問わずたくさんの子供たちが同じ空間に集うことができるようになっている。
スクールハウスで使われていた家具について
シェーカーのスクールハウスでは、多数の生徒たちが一つの教室で、快適かつ効率的に勉強できるよう、シェーカー内部で造られた机や黒板が使われていた。このような工夫も、オープンクラスルームを成立させるための一つの手段であったと考えられる。
図7,8,9 School Desk. Mt.Lebanon
School desk of cherry and white pine, designed to seat six students. The tapered legs, aprons, and the top frame made of cherry. The desk lids and writing surfaces, and interiors of individual compartments, made of white pine, including the till in each. Iron butt hinges allow the lids to open, while brass spring-loaded catches hold the lids closed. The lid supports pivot.(Shaker Museum より)
桜とストローブマツからできている、6 人の生徒が同時に使用できるように設計されたスクールデスク。テーパード型の脚と、エプロンと呼ばれる部分と、トップフレームは、桜の木から作られている。机のふたの部分、表面、そして引き出しを含む個別のコンパートメントはストローブマツから作られている。鉄製のヒンジで蓋を開けることができ、真ちゅう製のバネ仕掛けのキャッチで蓋を閉じたままにすることもできる。蓋はピボットをサポートしている。
まとめ・考察
シェーカーの教育は、まだ公教育制度が整っていなかった当時のアメリカにおいてはかなり先進的なものであったことがわかった。コミュニティ内部での教育の始まりは、一人の教師の活動がきっかけだったが、シェーカー 特有の厳格さが教育方面に作用したことで、結果として彼らが子供たちに施す教育は、国内でも最先端のものへと進化していった。シェーカー教は、教育だけでなく、教育を行う空間や、子供たちが使用する家具、道具などに関しても、自分たちの思想や理想的な方法を叶えるために、ときには外部の指導者の意見を採用して、デザインを完成させていた。このような姿勢からは、普段の生活や礼拝など、教育以外の側面にも通じている、シェーカーの軸のような生き方を感じ取ることができるのではないだろうか。
執筆:高塚
参考文献
Scott T. Swank『Shaker Life, Art, and Architecture』Abbeville Press, 1999
Stephen Paterwic『Historical Dictioonary of the Shakers』 Rowman & Littlefi eld Publishers, 2017
Stephen J. Stein『 The Shaker Experience In America』Yale University Pres, 1992
David Lankin『Essential Book of Shaker』Universe, 1955
Taylor, Frank G.; Roberts, Arthur D.『An Analysis of Shaker Education: The Life and Death of an Alternative Educational System, 1774-1950』
Priscilla J. Brewer『 Shaker Communities, Shaker Lives』Univ Pr of New England; Reprint edition, 1988
Shaker Museum (https://www.shakermuseum.us/collection/shaker-dress-plain-comfortable-economical-comely/practicality/) 最終閲覧 2021/08/26
図版出典
図1,2,3,4 Shaker Museum (https://www.shakermuseum.us/collection/shaker-dress-plain-comfortable-economical-comely/practicality/)
図5,6 Shaker Museum (https://www.shakermuseum.us/search/#/?q=school)
図7,8,9 Shaker Museum (https://www.shakermuseum.us/object/?id=7914&limit=24&offset=0&sort=name_ref&q=desk)
全て最終閲覧2021/08/26