図 1-1
該当部分の概要
レベッカとリチャードはシェーカー教に入信する。心から告白することができないレベッカは、ブラザー・マクネマーとの会話のなかで、はじめは準会員としてシェーカー教徒として生活することを勧められる。
“That will be enough. We can’t admit you or Richard to the Church Order, but you can come into the Novitiate. In time, when your efforts have borne fruit, and I have faith they will, you can come into the Church Family.”
Janice Holt Giles, The Believers, Houghton Mifflin Company, 1957, p.69
十分です。我々はあなたたちをチャーチ・オーダーに迎えることはできません。しかし、ノヴィシエイトになることができます。あなたの努力が実を結んだとき、チャーチ・ファミリーに入ることができます。信じています。
調査の目的
小説内に描かれている、シェーカー教の組織形態に関する用語に関して、それらを体系的にまとめることで、シェーカー教の組織の全体像を把握する。それにあたり、以下のような3つの項目を設け、それぞれについてまとめる。
1.教徒の序列:シェーカー教における教徒同士の教義・生活面での統治関係について
2.シェーカー教全体の組織構造:新たな共同体ができたときの教育体制など、全体の組織構造について
3.ファミリーについて:共同体を構成するファミリーと呼ばれるグループについて
1.教徒の序列
はじめ、シェーカー教が活動し始めた頃には、模範となる統治構造を持った共同体は存在せず、シェーカー教は一から自分たちの統治体制を作り上げた。その中でも特徴的な工夫として、シェーカー教では教徒の序列をつくり、シェーカー教への関わり方に幅を持たせた。初期の序列はかなり曖昧なものであったが、最終的には、以下の 3つの序列が明確になった。(資料1より)
①上位序列(senior order)
シェーカー教の教義に完全に従うことを誓った信者たちのこと。チャーチ・オーダーと呼ばれることもある。チャーチ・オーダーの全員がチャーチ・ファミリーに所属していたわけではなく、ノヴィシエイト以外の各ファミリーで暮らしていた。チャーチ・オーダーに属するには、完全に俗世から身を切り離す契約を交わす必要があった。(資料3, p.70)
②下位序列(junior order)
何らかの理由でチャーチ・オーダーの契約を結んでいない人々。共同体ごとに意味が微妙に異なる曖昧な単語。19世紀中頃まではチャーチ・オーダーをシニア・オーダーと呼んだことから、シニア・オーダーに属さない人々をジュニア・オーダーと呼んだ。小説内で説明されているような、完全に入信する準備ができていない未婚の信者を指す場合もある。(資料3, p.170)
③見習い序列(novitiate)
シェーカー教徒としての生活を試す為に仮入信した成人のこと。仮入信の契約を交わすことで衣食住や医療など、シェーカー教徒としての特権を与えられた。しかし、「ブラザー」や「シスター」の称号を受け入れることや、全ての集会に出席すること、割り当てられた労働を行うことが義務付けられた。(資料3, p.224)
図1-2:シェーカー教における教徒の立ち位置
2.シェーカー教全体の組織構造
各共同体には、主宰者として指導長老がそれぞれ決められた。
そして各長老たちが集まったのが長老会(ミニストリー)であり、そのなかでも最高の権威を持っていたのは実質首都とみなされていた中枢のニューレバノンの長老会、総監督局長老会(ペアレント・ミニストリー)であった。ペアレント・ミニストリーは、アン・リーの直系のものとして扱われた。
また、長老会はニューレバノンと密接に連絡をとりながら、各共同体が精神的・組織的に十分な管理がされているかを監督するのがその役割だった。ところによっては、いくつかの共同体を地域ごとにまとめ、そのうえに監督局(ビショップリック)をおいた。監督局の長老は、受け持ちの共同体に均等に時間を配分し、ニューレバノンと連絡をとりながら各共同体を監督してまわっていく。
例えば、ニューハンプシャー州の監督局の下にはカンタベリーとエンフィールドの共同体、ハンコック監督局の下にはマサチューセッツ州のハンコックとティリンガムの共同体が監督されていた。
図1-3:シェーカー教の全体組織構造
3.ファミリーについて
ファミリーは共同体のなかの集団の一単位であり、前述した各序列でファミリーは異なるため、ひとつの共同体のなかには少なくとも 3つのファミリーがいた。
そのなかでも、上位序列からなり、もっとも古く大きいファミリーを「チャーチ・ファミリー」と呼ぶ。 ほかのファミリーは、チャーチ・ファミリーを基準として、東西南北の位置や、丘など地理的特徴から名前がつけられた。
ファミリーはそれぞれ農場、家畜、宿舎、納屋、仕事場(シスターズ・ショップとブラザー・ショップ)、ミーティングハウスなどを持っていて、独自の事業を展開していた。各ファミリーは 1/4 ~ 1/2 マイルは離れていて、特別な理由がなければ他のところを訪ねてはいけなかった。
①ブラック・ファミリー
黒人の信者がいた記録はあるが、彼らのためだけのファミリーが形成されることは希であった。チャーチ・オーダーに属す黒人はごくわずかであったようで、ほとんどはノヴィシエイトの一部であった「バック・オーダー(Back Order)」に属していた。サウス・ユニオンでは、1815年には「ブラック・ファミリー」と呼ばれる黒人のためのファミリーが存在したが、住民を徐々に他のファミリーに移動させ、1822年の記録ではすでにこのファミリーの存在はなくなっている。(資料3, p.17)
②スクール・ファミリー(→スクール・ハウス)
「School Family」の存在が確認できる記録は見つからない。ジョセフ・ミーチャムが最初に設立した「チルドレンズ・オーダー(Children’s Order)」という組織が設けられていた場所はあり、子供用のチャーチ・オーダーとして扱われた。
図版出典・参考文献
参考文献
資料1:穂積文雄『ユートピア 西と東』(法律文化社、1980)John Kassey 著 藤門弘訳『シェーカー家具 デザインとディテール』(理工学社、1996)
資料2:June Sprigg 著 藤門弘著『シェーカー―生活と仕事のデザイン 』(平凡社、1992)
資料3:Stephen J. Paterwic『Historical Dictionary of the Shakers』(Rowman & Littlefield, 2017)
図版出典
図1:レジュメ製作者作成
図2:170309_勉強会レジュメ_共同体より抜粋 https://waseda.app.box.com/file/284798564303 (中谷研究室box内)