第5章 ハンコック・シェーカー資料館 —Amy Bess and Lawrence K. Miller Library—
5-1. ハンコック・シェーカー資料館とギャラリーについて
2022年、9月14日と15日、ハンコック・シェーカー集落跡地のミュージアムを訪問するとともに、ウェルカムセンター内に位置する資料館(Amy Bess and Lawrence K. Miller Library)を訪問した。この資料館を訪問するには、シェーカー・ミュージアム同様、アポイントメントをとる必要がある。
ハンコック・シェーカー・ミュージアムの創設者であるエイミー・ベス・ミラー(Amy Bess Miller) とローレンス ミラー(Lawrence K. Miller)の名がつけられたこの資料館は、約13,000の1次資料と2次資料研究資料を貯蔵している。資料が貯蔵されている部屋は空調設備が整っており、天井も高く、大きさは約60平米ほどであった。
ウェルカムセンターのチケットカウンターと資料館の間には小さなギャラリースペースがあり、そこにはシェーカーの作ったほうきにかんしての展示が行われていた(図)。
図1-3: ギャラリーでの展示の様子
5-2. ハンコック・シェーカー資料館の保持する資料について
5-2-1. ギフトドローイングについて
マウントレバノン・ミュージアム同様、シェーカーが印刷したマニフェストや1次資料のコピーなど、多数のコレクションがある。その中でこの資料館特有のコレクションは、シェーカーの描いたギフト・ドローイングである。
ギフト・ドローイングとは、シェーカーによって描かれた絵の事を一般的にはさすのだが、描いた者と時期が決まっている。Era of Manifestationと呼ばれる、シェーカー・メンバーがスピリチュアリスティック・リバイバル(spiritualistic revival)といったことを⻑期に経験した時代のことで、1837年~1850年代と認識されている。シェーカーは以前からギフト(神や精霊からのお告げ)を授かってはトランス状態に陥ったり、激しく体をゆさぶったりといった礼拝運動を行ってきたが、そういった状態をさらに授かる機会が多くなり、結果としてメンバーのシェーカー理念に対する考えに再熱がもたらされた事をスピリチュアリスティック・リバイバルという。歌ったり、ヴィジョン(vision、幻想)を⾒たりし、それを絵やメッセージに記していくといった行動は、この時期に初めて見られた事であった。このギフトは選ばれたものだけが授かるものであり、授かったメンバーはインストルメントと呼ばれ、他のメンバーからは一目置かれる存在となった。そして彼らが描いた絵は、ギフト・ドローイング(gift drawing)と呼ばれた。
5-2-2. ハンコック・シェーカー 資料館に存在するギフトドローイングについて
この資料館にて、数枚のギフト・ドローイングを確認することができた。
まず最初に引き出しから出して見せてくれたものは、The Tree of Lifeというハナ・コフーン(Hannah Cohoon)というシェーカーによって1854年に描かれたものである(図1)。この絵はシェーカーのスピリットの世界と生が表された絵であり、よくシェーカーのシンボルのように外部では使われるものである。しかし、描かれた当時は誰でも見ることができるわけではなかった。
シェーカーたちは、ギフト・ドローイングが、視覚的にそして形に残る神からのお告げとして、想像以上のパワーをもっていることが分かった。それからというもの、限られた者のみが見ることができたのであった。
ハナは1817年、29歳の時にハンコック・シェーカーに子供2人を連れて住み始めた。約20年後Era of Manifestationの時期にはいくつかのギフト・ドローイングを残している。これは珍しいことであるが、彼女は自分の作品にサインをしていた。シェーカーは、個人が物や者を有するという考え方をしなかったため、家具や絵に個人の名前が残るということは非常に稀であった。
ハナの絵の特徴として、抽象的でインクと水彩画をまぜたものが多い傾向にある。図5に現れているように、ゴールド色のドットに厚みがあり、今まで本に掲載されていた写真とは印象が異なった。
次に見れた作品は、ポリー・ジェーン・リード(Polly Jane Reed)による絵であった。ポリーもハナと同様、インストルメントとしてEra of Manifestation時代に活躍し、その数50近くと、多くの絵を残している。
ポリーは1818年に生まれ、7歳であった1825年にマウントレバノン・シェーカーに住み始めた。両親はシェーカーに改修せず、1人でシェーカーになる事を決めたという。彼女は十分な年になると、スクール・ハウスで子供達の勉強の世話をしたり、テイラーとしても才能をみせた。
1855年にはマウントレバノンのエルドレスとなり、その後1869年からはミニストリーの1人となった。ポリーは書法に長けており、ミニストリーのために記録するべきことは全て彼女の手書きで記した。
図6はポリーが1849年に描いたものであり、「マザー・ルーシーからエリザ・アン・テイラーへの贈り物(A Present from Mother Lucy to Eliza Ann Taylor)」と名付けられた。マザー・ルーシーとは、ジョセフ・ミーチャムと同じくアメリカンシェーカーの1期生とも呼べる、初期からのメンバーである。ミーチャムの死後、シェーカー・ソサエティのトップの指導者となった。マザー・アンを知らないアメリカンシェーカーは19世紀中頃には多く、シェーカーのコアとの繋がりを現した際に、このギフト・ドローイングではマザー・ルーシーが描かれたと推測できる。鎖のような葉のような、円が描かれ、その中に1つの家が置かれている。この家のキュポラからは植物が生え、ハナの絵と同様にシェーカーのスピリットの生命を現しているようにも見える。そのように考えると、真ん中に位置する家はシェーカーの原点となる場、とも考えられる。すると、ウォーターヴリーのログハウス、もしくはハーバードのスクエア・ハウスではないか、とも想像できる。スクエア・ハウスとは、アン・リーがとても愛した家であり、マサチューセッツ州のハーバード・シェーカー 集落内に存在した。彼女は1780年代の宣教の旅に出た際には、多くの時間をこのハーバードにて過ごした。
家の形から考えると、ドアーが2つあるため、ミーティング・ハウスであり、中のシェーカーの礼拝運動によるスピリットのエネルギーが煙突から湧き出ているとも読み取れる。
図7は、ハート型をした1844年の絵であり、ポリーはこのハート型の紙の上の絵を数枚残している。約大きさ10センチほどと、とても小さく、もちろんその中の文字もとても小さく、初めて見たものは驚くことであろう。
中には大小の鳥が4羽、真ん中の王冠のようなものの両脇におり、外側に顔を向けている鳥と中を向いている鳥がいる。Bishopと真ん中に書かれた王冠の上には太陽のような、光を放つ何かが描かれており、それが鎖にて両脇につながり、支えられている。
図8は様々なインストルメントによって描かれた鳥の絵を比べた表であり、ハンコック・シェーカー資料館にて作られた。第3章の図23、1806年ごろに描かれたマップにも、鳥のような人間のようなものが4つ描かれており、何か関連性があるかと考えた。4という数字はシェーカー にとって重要であり、常にエルダーとエルドレスは4人構成、ミニストリーも4人構成である。シェーカーのスピリットと鳥とは、とても近い存在として認識されていたのではなかろうか。