図1 オフィスを運営するオフィス・ディーコネス達(New York, Mount Lebanon)
該当部分の概要
レベッカがセス・アーノルドについて述べている。
I knew he was one of those chosen to be a trustee, and that he was one of the first who would travel the country with our seeds and straw hats to sell.
彼はトラスティーに選ばれた一人で、 販売用の種と麦わら帽子を持って初めて国内を回る人のひとりとなるだろうことは分かっていた。(20章 174ページ 第6段落)
調査の目的
小説内でも重要な役割として描写されているトラスティについて、その役割や仕事内容を調査してコミュニティにおいてどのような存在であったか明らかにする。また、外交の様子からシェーカーがどのような考えのもと交易を行っていたか理解する。
調査内容
〇トラスティの役割
トラスティは別名オフィス・ディーコンと呼ばれ、ファミリーの規模がある程度拡大したら、2 人の男性がこの役職に就いた。トラスティにはシェーカー教徒の代表として商売を行う権限が与えられていたので、主な業務は財政管理と外部との交易の仕事であった。彼らは教徒でない外部の人が訪れるオフィスを運営しており、そこに住んでいた。男性教徒のトラスティが不足しないうちは、女性がトラスティの業務を事実上行うことはなかった。これはシェーカーの教義による規定ではないが、女性はオフィス・ディーコネスに任命されるものの男性が持つような財政への権限は行使せず、オフィスの運営や宿泊者へのもてなし、家事が主な仕事であった。しかし、男性教徒が減りトラスティを務められる人がいなくなったファミリーでは女性が財政管理を担うこともあった。
図2 外部の訪問者に向けて豪華な外装を施したオフィス(Ohio, Union Village)
【財政管理】
現金、家財、不動産に至るまでコミュニティのすべての財産はトラスティの名のもとに管理されていた。シェーカー教徒の誓約書にもトラスティの権限は及んでいる。こうしたトラスティの役割は非常に重要であり、ファミリーは設立後、トラスティを擁立して初めて独立したファミリーとして認められるほどである。重要な役割であるトラスティはしばしばコミュニティにも影響を与えた。福居彩未の「共同体の生存要因としてのコミュニティ構造ーシェーカー教コミュニティを通してー」ではトラスティの資産運用能力が低く悪政を行ったことや、資産の横領が行われたことがあるコミュニティを挙げ、対策の有無によるコミュニティの持続要因を考察している。一方で繁栄したコミュニティの裏には有能なトラスティの存在が確認できる。これらのことからトラスティはコミュニティの組織構造の中で極めて重要な役割であったことがわかる。
【外部との交易】
トラスティはシェーカー製品の行商人としても活躍し、コミュニティからかなり離れた様々な場所に出張していた。ヴィレッジにより規模に差はあるがその出張は広範囲に及んだ。シェイカーは積極的に商品を宣伝し、信用販売を行って、大口注文や現金には値引きをし、商品の委託も行った。また、不払いには法的措置を取るとし、彼らの商売は市場で、良い品質のものを適正な価格で提供するという評判を得ていた。外部との関りが多いトラスティは、自分たちが外部にとって必要であることは自覚しつつも、外部の人とは違うということを常に意識していた。
〇ケンタッキー州のトラスティの交易
販売に使用する交通の変化
【初期】
ワゴンに乗って種子を販売していた。基本的に二人組で馬を二頭使い、カバンに種子を可能な限り詰めて数日間の行商を行った。道路の状況が良くないことが事前にわかっていた場合には六頭の馬で編成を組んだ。レキシントン、ナッシュビル、ルイビルが近い都市であり、主にこれらの都市が出張先であった。時代が下り道が整備されていくことで出張範囲は拡大する。
【1820 年代以降】
航路を用いるようになる。ワゴンで最寄りの船着き場まで移動しており、サウスユニオンは 30 マイル先のレッド川か60 マイル先のカンバーランドから船を利用した。以下の写真はプレザントヒルが所有していた船着き場であるが、サウスユニオンもこのような船着き場を利用していた。造船は教徒によって、あるいは船大工を雇って行われた。船を利用することで種子以外のシェーカー製品を運ぶことが可能になった。主にまわる都市はセントルイス、メンフィス、ビクスバーグ、そしてニューオリンズへと続く河川ルート沿いの町にまで及んだ。この長い出張は 10 月末から 11 月頭に出発し、2から4カ月かけて行われた。
【1860 年代以降】
鉄道をワゴン、船と組み合わせて使うようになる。これによって交易の負担が減り、一人のトラスティで行商を行えるようになった。
図3 ケンタッキー州のシェーカー・ヴィレッジにおける主な交易都市
赤色で囲われた都市はワゴンによって交易していた都市、青色で囲われた都市は航路によって交易していた都市とそれらをつなぐ航路となった河川をプロットした。陸路と航路では範囲の差が明らかである。
トラスティが扱っていた商品
【販売】
種子の販売が優先的に行われた。船を利用するようになったことで、種子の他にも ほうき、カーペット、ジーンズ、リネン、麦わら帽子・ボンネット、ストッキングなどの運びやすい商品が積まれるようになった。他にもサウスユニオンの主産業の一つであった家畜も運ばれ販売された。
【購入】
基本的にヴィレッジ内で製造することが難しい製品を、特に船を利用するようになってから、トラスティは購入して帰ってきた。砂糖、コーヒー、紅茶、糖蜜、ラム酒、干し魚、なめし油、ガラス、鉄など、ヴィレッジで必要とされる 1 年分の商品を購入していた。一方で、ヴィレッジで製造可能なものであっても、コミュニティの人数が増えたことで、日用品の生産が追い付かなくなり外で買い付けることがあった。主にコーヒーカップやティーポット、ボウルなどの日用品が記録に残っている。上述で販売されていた家畜は、販売会に参加し繁殖用にヨーロッパからの純血の牛、羊、豚を買い付けてもいた。
考察・まとめ
トラスティはコミュニティの中の財政や外部との交易の権限を持っていた役職であることがわかった。何をどれだけ買うかを含めトラスティのコミュニティ財政への裁量はかなり大きく、資金の横領や悪政などトラスティによってコミュニティの存続が左右されていたことがわかった。
また、販売品、購入品、交易範囲は選択する交通に左右されており、これはファミリーの財政や技術力、外部の交通機能の向上に影響して変化した。航路を選択し交易範囲を広げたことから、シェーカーは商売に意欲的であったと考える。コーヒーなどの嗜好品も購入していたり、販売品などからそのヴィレッジの主要産業を分析することができた。
トラスティの仕事や役割は時代を追って変化しており、鉄道を利用することによって一人のトラスティで行商を行うようになったことは、コミュニティの人口減少によるトラスティ不足と関係があると考察する。
執筆:山本沙良
参考文献・図版出典
参考文献
・Stephen J. Paterwic『HISTORICAL DICTIONARY of the SHAKERS』ROWMAN&LITTLEFIELD, 2017,pp.297-299
・福居彩未「共同体の生存要因としてのコミュニティ構造ーシェーカー教コミュニティを通してー」2018
・James W. Hooper『The SHAKER COMMUNITIES of KENTUCKY: Pleasant Hill and South Union』ARCADIA, 2006, pp.87-88
・Julia Neal『THE KENTUCKY SHAKERS』The University Press of Kentucky, 1982, pp.32-41
図版出典
・図1,2:「Shaker Museum」
https://www.shakermuseum.us/search/#/?q=Seed&offset=24 (2021.08.26 最終閲覧)
・図3:「Google Map」
https://www.google.co.jp/maps (2021.06.28 最終閲覧 ) を元に筆者加筆